黒色人生

23歳女フリーターの日常

日記【48】

もう頼みごとを易々と受けない、という決意をした出来事が中学時代にあった。

 

学校で年に1回、あたしが大っ嫌いな駅伝大会が開かれる。

 

1区〜9区まであり1区間約3キロあったと思う。

でも9区だけは数人でわけて走ることができた。(いわゆる走るのが苦手な人間のための区間)

 

言わずもながあたしは9区だった。

 

そう、駅伝大会の前日までは、、

 

 

駅伝大会の前日、部活の試合があって遠征していた。(ソフトボール)

 

学校に着く頃には心身ともに疲弊しきっている。

 

当時の部活の顧問は担任でもあった。

その担任に電話がきたのだ。

 

その内容は、明日1区を走る予定だった子が怪我か何かで走れなくなった、というものだ。

 

当然変わりを探さなくてはならない。

 

しかしクラス全員走る区間はすでに決まっている。

 

となると9区を走る数人の中から、1区を走ってくれる人をみつけなければならない。

 

そしてそのとき担任の目の前には9区を走る予定の、都合のいい人間がいた。

 

そうあたしである。

 

嫌なのは当たり前なのだが、かと言って逆らう勇気もなかったので渋々承諾。

 

翌朝学校に着くと、担任が入念にふくらはぎにテーピングをしてくれた。

 

土日はほぼ休みなしで試合や練習をしているので、それなりに脚が悲鳴を上げている。

 

そこからはもう淡々と進んでいった。

 

よーい、バン。でスタート

 

9区を走る予定だった足の遅いあたしは、当然ビリだ。しかも後ろから担任が原付に乗って追いかけてくるのだ。どんな拷問だ。

 

申し訳なさを感じつつ次の人にたすきを渡す。

 

そこから帰りのバスの記憶があまりない。

 

結果、ビリから始まったのに3位か2位くらいになれた。みなに感謝した。

 

そして入賞したクラスは表彰されるのだが、

 

お前が1番頑張った、行ってこい。

 

と言われたのであたしが賞状を受け取ることとなった。テーピングが妙に恥ずかしかったし、不甲斐なさを感じたが、嬉しかった。

 

 

何か頼まれて引き受けるたびに人から感謝されるのはいいことだ。でもその度に精神を擦り減らしてちゃたまったもんじゃない。

 

お陰で今では、バイトのシフトを代わって欲しいと言われたときすらもよーく考えるようになった。